自己紹介

長谷川 淳

2006年国立大学工学部を定年退職、国立大学名誉教授、2014年で73歳、社会人登山リーダー資格者

 22歳の大学4年生の時から北アルプスの立山、剣岳、槍ヶ岳や穂高岳に登り始める。40歳ごろまでは職場のスキー・行楽・アルペンクラブの仲間と北アルプスに登っていたが、40歳を過ぎてからは単独行で剣岳のバリエーションルートに多く登ってきた。その間に、文部科学省登山研修所主催の春山講習会などに参加して、雪渓登攀技術を磨いた。


 45歳ごろから仕事が忙しくなってきて、やむなく登山からは遠ざかってしまった。65歳の定年前に決心をして、70歳までに百名山を完登する目標を定めた。大学の非常勤講師と親の介護からほぼ解放された67歳の時に、過去に登った百名山を数えたら26山しかなかった。67歳から69歳までの3年間に74山を登って、2010年9月16日に百名山を完登した。

 若い時から登山、スキーとランニングを趣味とし、仕事の合間にランニングで基礎体力を維持してきた。65歳ごろからは低山のラン・アンド・ウオークを取り入れ、最近は低山のノルジックウオーキングが日常の訓練になっている。73歳なので運動をしている若い人ほど速くは歩けないが、標準時間の75%ぐらいで歩いている。休憩時間を入れて、それを含まない標準時間より少し速いぐらいのペースである。

 アルペングループや家族で登山したj場合を除いて、84山は春山から秋山にかけての単独行である。特に、剣岳と穂高岳にはいろいろのコースから登っていて、春山では怖い思いをずいぶんした。登山スタイルは、前日に山麓に泊まり、縦走の場合には山小屋に泊まり、下山後には次に登山する山麓に移動する、一回の山行きで3山から5山を登るやり方である。山麓の温泉でゆっくりしてから、翌日に帰宅する。山麓や山中にテント場があるところでは積極的に利用し、山麓のユースホステルに泊まってお金を節約した。山への往復は、愛車のポルシェボクスターである。

 日ごろの訓練を欠かさない、登山装備をできるだけ軽く工夫する、ダブルストックを使う、携帯電話を持つ、悪天候時には無理をしない、登山者障害保険に加入する、登山届を出す。私の場合は単独行が多かったので、携帯電話、GPC、ツエルト、予備食、ヘッドランプ、季節に応じた防寒具を携帯し、遭難時に対応できるように細心の注意を払ってきた。